2020年11月11日
史跡がいっぱいあります。その12
江戸時代に西国大名が参勤交代のため、
本国と江戸を往復するときには当時の京都ではなく、
ここ伏見(伏見が京都市に編入されたのは昭和6年4月)を通っていました。
そこで各大名は、伏見に屋敷を構えて旅の途中の滞在地にしており、
薩摩島津藩の伏見屋敷も京阪電車丹波橋駅から西へ10分ほど行った
豪川(疎水支流)右岸にありました。
寺田屋で襲撃を受けた坂本龍馬が避難したのも、ここ薩摩島津藩伏見屋敷でした。
なお、薩摩島津藩伏見屋敷に向かう途中で一時的に隠れた材木小屋跡が
ここから南東約50mの対岸にあったと伝えられています。
なお、豪側を下っていき大手筋通と交差する橋のふもとにも
同じような石碑が建っています。
あしあと
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