2020年10月21日
史跡がいっぱいあります。その13
インクラインといえば、東山岡崎公園近くにある
「蹴上(けあげ)のインクライン」が観光名所として有名ですが、
ここ伏見にもインクラインがありました。
琵琶湖疏水は1890(明治23)年に開通した第1疏水、
1912(明治45・大正元)年に開通した第2疏水を合わせた総称で、
大津市で取水して、京都市内を経て伏見区を通過した後に宇治川に注ぎ込んでいます。
研究者によると、琵琶湖疏水のうち伏見区を流れる部分(正確には鴨川合流点~伏見堀詰間)
の正式名称は『鴨川運河』というそうです。
この疎水は、伏見区の深草、藤森近辺を京阪電車と並行して流れ、
墨染で西に進路を変えて、伏見下溜から再び南下していきます。
この墨染で西に進路を変えた辺り(*)が、かつてインクラインがあった場所です。
*京阪電車の線路を国道24号線が高架で跨ぐ付近です。
残念ながら1959(昭和34)年に姿を消し、この写真のように今ではその面影もありません。
蹴上のインクラインは、582m、高低差は38m、勾配15分の1であるのに対して、
伏見のインクラインは291m、高低差は15m、勾配10分の1と、
蹴上以上の急勾配だったそうで、現存していれば貴重な観光資源になったと思います。
あしあと
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