史跡がいっぱいあります。その13

 インクラインといえば、東山岡崎公園近くにある



「蹴上(けあげ)のインクライン」が観光名所として有名ですが、



ここ伏見にもインクラインがありました。


 

琵琶湖疏水は1890(明治23)年に開通した第1疏水、



1912(明治45・大正元)年に開通した第2疏水を合わせた総称で、



大津市で取水して、京都市内を経て伏見区を通過した後に宇治川に注ぎ込んでいます。



 研究者によると、琵琶湖疏水のうち伏見区を流れる部分(正確には鴨川合流点~伏見堀詰間)



の正式名称は『鴨川運河』というそうです。



この疎水は、伏見区の深草、藤森近辺を京阪電車と並行して流れ、



墨染で西に進路を変えて、伏見下溜から再び南下していきます。



 この墨染で西に進路を変えた辺り(*)が、かつてインクラインがあった場所です。



  *京阪電車の線路を国道24号線が高架で跨ぐ付近です。



残念ながら1959(昭和34)年に姿を消し、この写真のように今ではその面影もありません。






蹴上のインクラインは、582m、高低差は38m、勾配15分の1であるのに対して、



伏見のインクラインは291m、高低差は15m、勾配10分の1と、



蹴上以上の急勾配だったそうで、現存していれば貴重な観光資源になったと思います。


あしあと

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